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「コンテクスト」を理解する力



  「とびらプロジェクト」とは、東京都美術館と東京藝術大学が連携して行なっているアートを介してコミュニティを育む事業です。

  毎年広く一般からアート・コミュニケータ(愛称:とびラー)を募集しています。とびラーは、学芸員や大学の教員、そして第一線で活躍中の専門家を中心としたプロジェクトチームと共に美術館を拠点に活動しています。人と作品、人と人、人と場所をつなぎ、美術館に集まる多種多様な人びととのコミュニケーションを大切にし、そこから生まれる新しい価値を社会に届けていきます。

*とびらプロジェクトのサイト

http://tobira-project.info/



  日本では、Bluetoothビーコンをつかうマーケティング手法をo2oサービスと呼んでいますが、欧米ではContextual Marketingと呼ばれることもあります。この「コンテクスト=文脈」とは、どういう意味合いがあるのでしょう?

  ちょうど「とびらプロジェクト」の講座で脚本家の平田オリザさんが、「コンテクスト」について興味深く解説されていますのでご紹介いたします。



【言葉に内在する意味とコンテクスト】

  渡された台本に沿って一通りの演技を終えたところで、平田さんからワークショップの趣旨について説明がありました。

  以前このワークショップをとある高校の演劇部の生徒で実践したみたところ、意外にも「旅行ですか?」の台詞がなかなか自然に出てこなかったそうです。 そこで、なぜ不自然な台詞回しになってしまうのか、平田さんが高校生に尋ねてみると「列車の中ではじめて会った人に声をかけたことがない」、もしくは「声をかけるようなことはしないから雰囲気が掴めない」といった答えが返ってきたとのこと。 なるほど。平田さんは「旅行ですか?」という言葉に合席した3人の男女に流れる微妙な雰囲気という文脈(コンテクスト)を託していましたが、「旅行ですか?」という言葉を使った経験のない高校生は、「旅行ですか?」という台詞に込められた文脈(コンテクスト)を理解できなかった様です。

  この状況を平田さんは「コンテクスト(文脈)のずれ」が起きている状態と説明されていました。 これは言葉の「意味」は理解できていても、言葉にかかる「コンテクスト」が個々人の生活環境や文化などの違いによってずれてしまったまま会話している状態を指しています。 ただ、この「コンテクストのずれ」は、会話の中では非常に気付きにくいそうです。 そして、この「コンテクストのずれ」に気付かないまま会話を進めることこそが、人々が様々な場面でコミュニケーション不全を起こす最大の要因であると平田さんは指摘しています。 (どの様な業種にしろ顧客から寄せられるクレームなどは、この「コンテクストのずれ」が原因である場合が多いとのことでした。)

  ちなみに、平田さんが同じワークショップをオーストラリアで現地の大学生を相手に行った際、「列車の中ではじめて会った人に声をかけるか?」と尋ねてみると、「人種や民族による」という答えが帰ってきたそうです。また、アイルランドでワークショップを行ったときには、全員が話かけると答えたそうです。更にイギリスの上流階級の人であれば、誰かに紹介されない限り、不用意に他人に話しかけるのはマナーに反するとのことでした。

  そして平田さんの解説で何より興味深かったのは、演劇の世界ではこうしたコンテクストの機能性を脚本家や演出家が熟知し、コンテクストの差異を巧みに操ることで、同じ台詞であっても、そこに現れる人間関係の意味を全く別の意味に取り替えてしまうことが出来るということでした。 仮に「旅行ですか?」と話しかけた男性が、イギリスの上流階級の人であったというコンテクストを用いると、先ほどの単なるぎこちなく話かけるだけの男性像からは一変して、「マナーを知らない男性」、あるいは「マナーを破ってまで話しかけたい魅力的な女性が登場した場面」と、全く異なった観え方に観客を導くことができるそうです。 このことからも、会話において重要なのは、言葉の「意味」よりもむしろ「コンテクスト」の理解にあることが分かります。

【コンテクストを理解する力】
  となれば、この「コンテクスト」を読み取り理解する力は、アートコミュニケータにとって必要な力なのではないかと感じました。

  平田さん曰く、子どもに代表される様な社会的弱者は、言葉の意味よりもむしろコンテクストを主として話すことの方が多いそうです。例えば、「今日宿題やって行かなかったけど、先生に怒られなかったよ!」と嬉しそうに走って帰ってきた子どもがいるとします。一見、宿題をやらなかった話に聞こえてしまい「駄目じゃない?!」と注意しそうになりますが、実は子どもが「嬉しそうに」伝えたかったのは、先生の寛容さに魅かれたこと、先生が大好きなことだったりするそうです。

  そう考えると、論理的に話すことのできない社会的弱者(子どもなど)のコンテクストを理解する能力こそが、それらを支える側の人(先生や親など)に求められているのだと理解することができます。 これについて平田さんは、これまでの日本のリーダー教育で重視されてきた論理的に話せる力や、批評性を持つことなどの主体的な能力よりも、これからのリーダーには、社会的弱者のコンテクストを読み取り、論理的に話すことの出来ない人のコンテクストを理解する能力を是非身に付けていって欲しいと語っていました。

  そして、こうしたコンテクストを理解する能力は、医療の場でもその可能性が期待されているそうです。 現代では医療が高度化し、治療するということの意味も多様化しているとのこと。 

  一秒でも長く生きたいのか、残された余命を家族と過ごしたいのか、医師が患者さんのコンテクストを理解できなければ、本当の治療はできないそうです。 

  また、日常の看護においても患者さんのコンテクストを理解することは非常に重要で、優秀な看護婦さんなどは、患者さんから「胸が苦しいです」と訴えられると、「胸が苦しいんですね」と、まずは落ち着いてオウム返しに答えることによって、「あなたのそばにいますよ」「あなたに集中していますよ」というシグナルを返すそうです。 この様にコンテクストを受け止めて、さらに受け止めている事をシグナルとして返してあげることが、医療の場ではコミュニケーションの基本とされているとのことでした。

【コミュニケ―ションをデザインする】

  しかし、こうした所作は何も難しいことではなく、本来僕らも日常生活で行っていることであり、基本的なコミュニケーション能力は既に誰もが持っているとも言えます。 ただ、平田さんの指摘によれば、個々人のコミュニケーション能力は高くても、医療現場のようなパニックがおき易い場であったり、ビジネスの世界で時間が限られていたり、狭い研究室の中で権力構造が強かったりと、何らかの外的要因が関係しコンテクストの共有が妨げられると、コミュニケーション不全が起こりやすく、強いては組織内のトラブルに発展する可能性があるとのことでした。 

  よって、個々人がコンテクストを理解する力をつけるだけでは完全ではなく、例えば、医師と患者さんの座る位置は話し易さが考慮されているか、或はビジネスの話をする場合であれば開放感のあるミーティングルームにデザインされているかなど、外的要因を含む複合的な視点をもって、多様なコミュニケーションの理想的な姿を考える必要があるとのことでした。

  そして、こうした原因と結果を一直線で結び付けない捉え方を「複雑系」と呼びますが、コミュニケーションの問題を「複雑系」で捉えたのが、「コミュニケーションデザイン」という新しい学問領域ということができます。 まさにとびらプロジェクトでも、コミュニケーションをとるのに必要な環境は整っているかなど、考えて行かなければならないことはたくさんあります。

【シンパシー型の教育からエンパシー型の教育へ】

  ここで、高校生が「旅行ですか?」の台詞を自然に言えるにはどうすればよいかの話に戻します。
  
  人生経験の少ない高校生に「旅行ですか?」の台詞だけを考えさせても、一向にそこに含まれるコンテクストを理解することはできないでしょう。 しかし、「旅行ですか?」という台詞を練習するのではなく、「旅行ですか?」に込められたコンテクストと、高校生の人生経験を重ね合わせ、「何かを話しかけざるを得ない雰囲気」とはいったいどういう状況なのかを共有して行くことで、平田さんは「旅行ですか?」に込めたコンテクストを高校生に伝えてゆくことが出来ると言います。

  よく役者はその役に成りきるとか、何か別の人格が乗り移ることで迫真の演技が生まれるかの様に言われますが、プロの役者であっても、普段は話しかけない自分だけれども、話かけるとしたらどういう状況のどういう自分だろうかと、自分と演じるべき対象との間に共有できる部分を見つけて行くことから、役づくりのウイングを広げて行くとのことでした。



  こうした自分(内側)のコンテクストの外側(他者)にある行動や価値観を理解するために、双方のコンテクストの共有部分を見つけ出すことから、外側(他者)にあるコンテクストを徐々に共有拡大して行く方法が、近年、教育の世界でも注目を集めています。

  主にいじめ問題への対策として行われるロールプレイ(疑似体験)において提唱されているのが、「シンパシー型の教育からエンパシー型の教育へ」という考え方だそうです。 「同情から共感へ」、「同一性から共有性へ」といった意味合いを持ち、いじめられた子の気持ちになって同情(シンパシー)するのではなく、いじめられている子どもの気持ちと、より多くの子どもたちの気持ちとに共有(エンパシー)できるところを見つけて、少しでも「心の痛み」の共有部分を広げてゆくことで問題解決を図る手法とのことでした。

  考えてみれば、コミュニケーションとは、相手のコンテクストと自分のコンテクストの重なる部分を探すことからしかはじめることが出来ないと感じます。 話かけたい相手がいた場合、僕たちは相手との共通点を探し、広げて行こうとし、重なる部分が多ければ喜びに変わっていったりもします。今回のワークショップはまさにコミュニケーションの出発地点でもある、他者のコンテクストを理解することの重要性について触れた内容でした。

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  お客様の目線で物事を考える事は、演劇でもビジネスの現場でも変わりません。ビーコンをつかうo2oサービスという視点でも「コンテクスト」を理解する事がお客様のエンゲージメントを上げることにつながると感じたい次第です。







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